ヨーロッパで受け入れられるコーヒー
ヨーロッパに渡ったコーヒーは、まずキリスト教徒による「異教徒の飲み物」であるという認識と戦わねばなりませんでした。
キリスト教徒が「キリストの血」として神聖視するワインをイスラム教徒が飲まないことから、「ワインを飲まない異教徒が好む悪魔の飲み物だ」として反対する人々もいたようですが、時のローマ教皇クレメンス8世がコーヒーに「洗礼」を施すことで議論を終結させ、晴れてキリスト教公認の飲み物となりました。
ちょうど船による貿易が盛んになっていたヨーロッパ諸国に、ベネツィアをはじめとして次々とコーヒーが輸入されるようなり、ワインやビールにかわる飲み物として人気を博するようになります。
弾圧と流行。各国ごとに発展するカフェの文化
例えばドイツでは1777年にコーヒー禁止令が出され、これによりチコリコーヒーや麦芽コーヒーなど、コーヒーの代用品が飲まれるようになりました。
これらは、現代でも何らかの理由でコーヒーを避ける人々に、コーヒーの代わりに飲まれています。
また、イギリスではカフェに入り浸り家庭をおろそかにする男性にその妻たちが反発し、「ロンドンの家庭の主婦」によるコーヒーとカフェを非難する声明が発表されました。
しかし、商売敵のワイン商たちの猛反発を受け、彼らの要請を受けた医師によって「コーヒーが健康に及ぼす害」が説かれたにもかかわらず大流行したフランスのように、最終的にはヨーロッパ全土でコーヒーとカフェの文化は受け入れられ、広がっていきます。
こうして17世紀から18世紀にかけてじわじわとヨーロッパの生活に溶け込んでいったコーヒーはこの頃の文化にも影響を与え、思想家や芸術家の集うサロンとして、また各種芸術の題材としても取り上げられました。