海を越えて広がるコーヒーノキ栽培① ブラジル
ヨーロッパでコーヒーが受け入れられ需要が伸びていった17世紀以降、生産量が限られ高価だったイエメン以外でコーヒーノキを栽培する動きが広がっていきます。
当時、コーヒーによる利益を独占したいイエメンの商人たちは、コーヒー豆を加熱して発芽できない状態にしてから輸出していましたが、17世紀初頭にイスラム教徒のババ・ブーダンによってひそかに生豆が持ち出され、インドでの栽培が始まりました。
その後、17世紀中頃にはコーヒーノキの苗木がオランダ人の手によってインドネシア・スラウェシ島、1680年にはジャワ島に植えられ、1706年にジャワ島からオランダ・アムステルダムの植物園、1715年にはその苗木が南アメリカ大陸のスリナム(オランダ領ギアナ)へと渡っていきます。
そして、隣国フランス領ギアナへ伝わっていたコーヒーノキが1726年にこっそりとブラジルへと持ち出され、一時は世界生産量の9割を超えていたといわれるブラジルでのコーヒー栽培がスタートするのです。
(このとき、フランス領ギアナはコーヒーの譲渡を断っていましたが、総督代理の妻がブラジル使節パレータと恋に落ち、花束に隠してコーヒーノキの苗木を渡したという逸話が残っています。偶然にしてはブラジル側に都合が良すぎるため、苗木を手に入れるためのハニートラップだったのではないかとも言われているようです)
海を越えて広がるコーヒーノキ栽培② フランスからラテンアメリカへ
また、アムステルダムの植物園からは1714年にフランスへもコーヒーノキが寄贈という形で渡っており、これが1723年にカリブ海のフランス領・マルティニーク島に、軍人ガブリエル・マテュー・ドゥ・クリューによって植えられます。
これがブラジル以外のラテンアメリカ各国へと伝わり、キューバやコスタリカなどでもコーヒーが生産されるようになって行きます。
これらの国々はスペインの植民地だった地域ですが、コーヒーの栽培自体は独立後に始められたようです。
ブラジルを含むいくつかのラテンアメリカ諸国では、奴隷制度を利用した大規模なプランテーション栽培が行われていましたが、これが奴隷制廃止後に賃金労働者との意識のギャップとなり、産業の発展の足かせとなってしまうケースもありました。
海を越えて広がるコーヒーノキ栽培③ アフリカ大陸の植民地
アフリカ大陸では、イギリスやドイツ、フランスなどの植民地となった国々でコーヒー栽培が行われていました。
生産量自体は東南アジアやラテンアメリカ諸国にまったく及びませんが、原産地であるエチオピアに近いことなどから耐病性、生産性の高い品種の研究が行われ、特に19世紀以降主要生産地への新種供給源として大きな役割を果たすようになります。
これらの地域から安定低に供給される、高品質で低価格なコーヒー豆によって、イエメンのコーヒー産業はそのシェアと共に縮小していきましたが、反比例して世界におけるコーヒーの存在感は生産、消費の両面で増加していきます。
そして消費者の規模が大きくなることにより、19世紀以降よりおいしく、また手軽に飲むための様々な工夫から新しい発明が生まれてくることになるのです。